「ところでココさん。ボク、少し思ったんですけど…」
漸く落ち着いて聞く耳を持ったボクに、小松くんが改めて告げる。
「何だい?」
少し落ち着いた僕は、さっきよりも冷静に聞き返す事が出来た。
「人間…というか生物全てですが、基本的に使わない機能は廃れていくものだと思うんですよ」
「僕の毒も?」
「はい。それが進化ってものでしょう?まぁボクはココさんの毒が廃れただなんて思いませんけど」
「どういうことかな?」
使わない機能は退化する。
それは毒に限らないと言われれば納得しかけていただけに、全く逆の事を言われて僕は首を傾げる。
「だってココさん自分で言ったじゃないですか。普段ある毒は少なくなったけど、デビルオロチの抗体は作れるって。それって凄くないですか?」
一体何が凄いのか。
「そりゃ、毒を体内で精製できる人間なんて僕くらいだろうけど」
「んもうっ!違いますっ!そうじゃなくて、ココさんは普段使わない余分な毒は無くなったけど、必要に応じて必要な毒や抗体を精製できる体だって事ですよ!それだけ日常にいる敵が少なくなったって事で、平和な事だし、それって進化じゃないですか?」
「平和・・・進化…」
ここは研究所じゃない。
己の意思に反して毒を入れられたりする事もなく、危険生物として追いかけ回される事もない。
確かに僕が弱くなったのは、ある意味において平和の証かもしれない。
「こんな事言うと何ですけど、ちょっとボクの職業と似てますね」
「料理人と毒が?食中毒?それとも食あたりかな?」
思いつくままに述べてみれば、小松くんはぷぅっと頬を膨らませた。
どうやら気分を害してしまったらしい。
「ちーがーいーまーすーっ!ココさんの身体は今、毒そのものは少なくなっていて、代わりにその元がストックしてあるんですよ。それを必要に応じて調合して毒や抗体を作り出す。お客様の注文に応じて料理を作るコックと似てないですか?そりゃ、店だから出汁や下拵えなんかは最初にある程度作っておかなきゃいけないですが、ココさんの毒もきっとそうなんですよ。すぐ必要になる数種類の毒だけ残してあるんだとボクは思います」
「随分便利な身体だね」
本当にそうであれば良いのだけれど。
「まぁそうじゃなくても構いませんけど、ココさんはそう言った方が安心でしょう?」
呆れたように小松くんが告げた。
「…酷いな。小松くんにとっては僕のアイデンティティーの崩壊は対岸の火事な訳だ」
僕が僕であること。
それを小松くんは他人ごとのように捕えている。
実際他人なのだから仕方ない事ではあるけれど、あまりに客観的で冷静な意見は、僕に対して小松くんが何の感情も向けていない徴のように思えた。
「そんな薄っぺらなアイデンティティーなら崩壊しちゃえば良いです。崩壊して、ココさんがぐずぐずに溶けてなくなっても、トリコさんやボクらがちゃんと新しいココさんを形作ってあげますよ」
「それは最早昔の僕じゃない」
やっぱり、今の僕はいらないのかな・・・・
「余計な事を考える脳ミソが溶けてなくなっちゃえば、ココさんももう少し笑えますかね?」
「どうかな?」
ふー、やれやれ、とでも言いたそうな顔だ。
普段ハント先で会う小松くんとは違う大人な顔。
見慣れないそれに見入ってしまうばかり。
「だったらボクは新しいココさんを作る時にわざと脳ミソの一部だけビンに閉じ込めてしまうかもしれません」
余計な事を考える脳を閉じ込めてしまうと小松くんは言う。
「そうしたら毒体質なくせに何も考えない馬鹿な僕の出来上がりだね」
毒が弱くなったとて、完全に無くなっていなければ、それこそ庭に居た時以上の危険生物の出来あがりだ。
「返してほしいって言ったって返しませんよ」
「それで良いの?」
毒がなくなっても、短慮で小松くんに対して自分の危険性を認知しないで振舞っても。
「だってそうしたらココさんはボクに会ってくれるし、触れてくれるんでしょう?」
たったそれだけ?
それだけの為に小松くんはそこまでしてくれるのかい?
「じゃあ、今触れても良い?」
恐る恐る尋ねれば、小松くんは破顔した。
「勿論!いくらでもどうぞ!」
そうして僕に両手を広げて見せる。
恐る恐る近づいて、そっと手を伸ばしても、小松くんに嫌悪の電磁波は見られない。
ただ、触れるか触れないかの位置でぐずぐずしているその手にくすぐったそうに身をよじるだけ。
それはきっと、今の僕でも、毒性の強い昔の僕でも、そして変わってしまうだろう未来の僕でも。
小松くんは変わらないんだろう。
ボクは既に脳の一部を小松くんに抜き取られてしまったのかもしれない。
自信満々に胸を張って手を広げて応えてくれる小松くんに、考えるだけでも鬱になる筈の自分の毒体質も、自分の将来も、そう悪いものではないかもしれない、なんて甘い事を考えてしまう。
それは勿論、小松くんが傍に居てくれる事が前提なのだけれども。
「んっ・・・くすぐったいです、ココさん・・・」
耐えきれなくなった小松くんがそう告げ、僕の手に頬を擦り寄せる。
不意な接触にビクッと手を引いた。
「大丈夫ですよ、ココさん」
小松くんは僕の手を追いかけてはこない。
ただ、僕からの接触を待っている。
小松くんの言葉に根拠なんてない。
あるのはただ、純粋な好意。
けれどもその裏のない言葉が何より僕を安心させる。
僕の新しい友人は、とっても不思議な力の持ち主だ。
救いようのない性格だとか言われた僕を救ってくれるのだから。
「うん・・・小松くんが言うなら、大丈夫、な気がする・・・」
そう言って、毒の滲まないその手で小松くんの頬にそっと触れた。
「十年くらい後はどうなっているのかな・・・」
毒は完全に無くなってしまうのだろうか?
それとも今まで以上の猛毒を有する身体になっているのだろうか?
未来に希望なんて持ってなかった。
想像もした事がなかった。
けれども、小松くんが僕を作り変えてくれるから。
駄目になりそうな僕でも、ちゃんと形作ってくれると約束してくれたから。
「あっ!そう言えば十年後って言えばまたフグ鯨も産卵期を迎えますね!良かったら一緒に行きましょう!」
「・・・うん、勿論」
約束は一つじゃない。
未来の約束は二つでも、三つでも。
「ねぇ、小松くん。今はそんな先の話じゃなくて・・・」
近々新たなハントに誘えば、小松くんは飛び跳ねて喜んだ。
そしてそんな小松くんを見て、ボクは心からの笑みを浮かべたのだった。
明日も明後日も、十年後だって。
君と交わす約束が、ボクの未来を鮮やかに彩っていく。